道案内

 いやぁ〜、季節外れなお天気には参りますねぇ。

 今日はいくぶん陽射しが弱まり、風もあってか過ごしやすくはありますが、昨日の暑さには参りました。

 また、週末にかけてはお天気が下り坂のようですが、今度の日曜日に体育祭の学校も多いでしょうから、なんとか日曜日だけでもお日さまが出てくれることを祈ります。

 

 実は今朝、院の玄関先を掃いていたら、歩いていた女性から声をかけられ、『国立病院へはどう行けばいいですか。』と尋ねられました。

 どうやらその女性はこの界隈の土地勘が全くなく、病院が高台にあるという情報だけを頼りに段山トンネルの方向へ歩いている中で私に尋ねたようでした。

 

 この後、私は改めて道案内の難しさを痛感することになったのです。

 

 この場合の難しさは、目標とすべき建造物などが視覚で共有できないことと、そもそも道に迷っている方に方向感覚というか、導く方向を指し示すことが困難であることです。

 

 私の中には、この女性の口から出る『坂を登ればあるんでしょ。』という言葉が引っかかっていて、目指すべき方向には坂がいくつかあるので、女性をミスリードしないように気をつかいながら、紛らわしい表現にならないように注意しながら案内をしたのですが、ともかくも病院のある方角だけは上腕全部を使ってハッキリと指し示したのでした。

 

 女性も私の道案内能力に限界を感じたのか、『わからなくなったらまた人に聴きます。』と言って歩いていかれました。

 

 私はその後しばらく、どう説明すれば良かったのか、一緒に歩いて案内すべきだったのか、などと取り留めのないことを考えながら過ごしたのでした。

 

 過去に道案内でこんな無力感を感じたことのなかった私は、あることに気づいたのですが、それは先方もしくは当方が“地図(Map)”を持っていないということ。

 

 ホテル勤務時、道案内は日に何度もある仕事ですが、ホテルフロントには“周辺地図”なるものが備わっています。

 もしくは、街で旅行者に道を尋ねられる機会はほとんどの場合、旅行者側が地図を片手に持っていたりしますよね。

 

 そんなこんなで、

 お互いが視覚的に情報を共有できない場合の道案内は、地図を持っている外国人に道案内するよりも難しい。

 いや、今日の場合は案内者側の能力の低さが原因にある。

 いやぁ、そもそも方向音痴な私が、道に迷っている人に道案内をすること自体が間違っている。

 いやぁ〜、道を案内するのでさえ難しいのに、人に何かを教えるって大変だわ。

 そうだ、わが子へ何かを教える時には、地図のようなものがあるといいかも。

 いやいや、共感こそ理解への最良の方法でしょうよ。

 なんてことなどが脳内をめぐっております。

 

 『灯台元暗し』とでも言いましょうか、目的地に近づいた分、目的地を見失う。

 車載型のナビがよく言う『目的地近くまで到着しました。案内を終了します。』って、えぇぇぇ〜!ここからが大事でしょうみたいな。

 人生においても似たようなことってありますよねぇ。

 

 それぞれの人生に地図を持ちたいものです。