あつい

 いやぁ〜、暑かったですねぇ。

 “夏”って感じの日でした。

 先週末に一度“冬”に戻っての、この暑さですからねぇ。

 体調崩せと言わんばかりの春です。

 私もなんとか体調を戻しつつある今日この頃ですが、みなさんは健やかにお過ごしでしょうか。

 

 さて、明後日には大変だった日々から2年が経ちますね。

 今日は縁あって、2年前の地震発生直後の益城町役場の様子を綴った(熊本日日新聞にて1月4日から連載された)『あの時何が』という連載記事をまとめて読みました。

 改めて、非常時の様子を活字で読み直すと、いろいろさまざまなことを思い、考えました。

 

 もちろん記事で取り上げられているのは一部ですし、益城町に限らず、熊本県の市町村郡や大分県の市町村郡も甚大な被害を受けましたし、私自身も一被災者として、家族とともに不安な夜を何日も過ごしました。

 

 だけどどっか『喉元過ぎてる感』が私自身にも、私の家族そして友人にも最近見受けられるのも事実です。

 

 2年前のあの時期は、日常の当たり前(と思われがちなモノやコト)が、すべてありがたく感じたものでした。

 

 蛇口をひねれば口にできる水もお湯も出て、スイッチを点ければ証明も、テレビも、ドライヤーも、電子レンジも使え、何をせずとも冷蔵庫と冷凍庫は食料を保存しつつ氷も作ってくれて、毎日お湯を張ったお風呂に浸かれる。

 何にもまして、住み慣れた我が家で、使い慣れた寝具で、ひとりで、時にはパートナーやわが子と一緒に寝られる。

 

 このことだけでも毎日感謝している人々が、いま熊本にどれだけいるでしょうか。

 私も偉そうなこと言えた身ではありませんがね。

 

 地震前の生活にほぼほぼ戻っている人は、未だ復興、復旧の道半ばにある人がいることを忘れちゃいけないし、その復興、復旧を支えている人がいるってことも忘れちゃならんと思うとります。

 

 みなさんのご自宅に、家族人数の1週間分の飲料水と3日分の食料の備蓄はありますか。

 車の燃料は半分以上入っていますか。

 

 今週末は、万が一に備えることを家族間で話し合い、意思統一しておきたいですね。

 

 わが次男坊も2年で大きくなりました。