水俣 -Minamata-

 ここへ来て急に寒くなったりと正しく三寒四温な今日この頃、みなさま体調崩されていませんか。

 

 我がふるさと宮崎では、新燃岳の火山活動が活発さを増しており、予断を許さない状況にあります。

 無事を祈るほかありません。

 

 また本日は、東日本大震災から7年を迎えます。

 14時46分に黙祷できるよう準備を整えています。

 

 火山の噴火や地震それに伴う津波や、台風、竜巻きなどの自然災害を防ぐことは困難ですが、備えることや被害を少なくすることは可能です。

 特に台風や大雨のように予め勢力や進路や降雨量がわかるものは、事前に対策を取る時間的余裕もあります。

 

 一方、地震については、東日本大震災から7年を迎え、熊本・大分地震からまもなく2年が経とうとしていますが、わが家の飲料水の備蓄量や、万一の場合の集合場所や連絡方法といったものが出来ているかと問われると、『のど元すぎてる感』が否めないのが現状です。

 

 これには、日本人固有なのかどうかはわかりませんが、『防災はお上(国)任せ』な感覚があるような気がします。

 

 幸いわが国日本は、地球上に存在する他の国や地域の中で、最高クラスの治安維持力を有している国だと感じています。

 これってとても素晴らしく誇らしいことなのですが、どこかで隙をつくっているというか、責任の所在が曖昧で主体性が薄れているというか、他人まかせなんですよね、自分の利害に直接的影響が及ばないと。

 

 この性癖とでもいいましょうか、国民性とでもいいましょうか、このことが健康維持力にも影響していると感じるのです。

 

 日常生活で他ならぬ自分の身体のことに意識を向けず、どこか具合が悪いと市販薬を服薬し、それでも良くならないと医療機関にかかり、治ればもとの生活へ戻る。

 食欲、性欲、物欲を制御することはせず、睡眠欲は薬やエナジードリンクで紛らわし、自分の行いはすべて棚に上げてからわが子への指導・教育・干渉。

 

 いよいよ体調が悪くなり、医療機関で数日過ごす羽目になってから慌てて『良い医者』『良い病院』『良い薬』をネット検索し玉石混交の情報収集。

 医師や看護師とのコミュニケーションが思い通りにいかないとセカンドオピニオン探しからの疑心暗鬼状態へ。

 挙句には、医師や病院を相手取っての訴訟を起こし、続いて匿名でのネット中傷などの書き込み。

 

 体が病むと心も病むのが人間です。

 

 3月11日と4月16日(他にも9月1日をはじめたくさんあります)には、家庭において防災および減災への取り組みと意識の再確認をし、車中泊生活や避難所生活を想像して、何が必要かを家族全員で出し合う場を設けたいものです。

 その時に、家族の中で薬(降圧剤その他)が必要不可欠な方がいれば、災害発生時にはどうするか、どこかで確保できるのかどうかなどといったこともロールプレイングしておくといいですね。

 

 今日の文章がやや刺々しくなったのは、昨日行った『水俣病資料館』ならびに周辺施設で、なんとも言えない自己嫌悪感に陥ったからかも知れません。

 欲望のままに欲望に囚われた企業、その延長線上にある社会が起こした人災。

 残念なことに今なお残る利益追求型、売上至上主義、大量生産大量消費型社会。

 その社会に慣れ親しんで染まりきっている自分。

 

 水俣の静かで綺麗な海とのギャップが、防げ得たはずの災いを一層罪深く感じさせました。