いいもんですね、同級生

 台風が過ぎ去り、暑さが戻り、昨夜からの大雨・・・

 自分が『中高生の頃にこんな天気だったかなぁ』と思い返してみても思い出せるものではありませんね。

 私事ですが、中学校卒業の年齢を15歳とすると、30年経過しようとしています。

 一週間前の天気も覚えてないのに、30年前の天気なんてねぇ。

 

 これまた私事ですが、親が転勤族だったので、小学校は3校、中学校は2校、入学から卒業まで在籍できたのは高校が初でした。

 これまたタイミングですが、小学校、中学校ともに最終学年の1年間だけ通学したので、卒業アルバムに対する感情が希薄でしてね。(修学旅行も行けてないし・・・)

 それが実家のどこかに保管されているのか、紛失してしまったのかさえ把握していない状況なのです。

 

 だけれども、在籍年数にかかわらず、記憶に強く残っている学校(その頃の生活も含めた)とそうでもない学校がありまして。

 正直言って、高校3年間の記憶は“バンド”、“新聞配達”、“失恋”、“バイト”と“デコピン”くらいしか残ってないですね。

 一方、強く残っているのは、矛盾するようですが“小6”、“中3”の記憶なのです。

 これは“新しい環境への順応”と言ったものと関係するのかも知れませんが、詳しくはわかりません。

 その中にあって強烈に記憶にあるのが、小6から中2まで暮らした“北九州市小倉北区”での生活です。

 理由はわかりませんが、こども心に『暮らしやすい』と感じていたのだと思います。

 

 転入生は例外なく新しい環境へ順応せざるえを得ない時に“ストレス”を感じます。

 しかも、その子の性格によっては、とても強烈に。

 

 まあまあ強めの“人見知り”である私が、小倉に馴染むのが早かった理由に大人っぽくいうと“懐の深さ”、その当時の感覚だと“なんでもあり”というか“来るもの拒まず”といった雰囲気が、こどもコミュニティーの中にもあって、こちらから『仲間に入れて』とお願いする前に、『オマエどっから来たとや?名前は?』という興味津々感バリバリで接近してくる肌感覚があったように思います。(熊本は真逆のように感じましたが、当時)

 

 その“よそ者”に対する距離感が近すぎて、聞いてもいない内容も聞かされた後、こちらも話すことになるという、良く言えば、フランクで親しみやすく、かたや『いやいや、そこまでは・・・』と少し引いてしまう感じですかね。

 ただ、私みたいな人見知りにはとてもありがたく、新学期が始まる前に友達も増え、始業式での“居場所のなさ”を感じずに済んだのも事実です。

 

 そんな小倉時代の同級生とSNSで繋がったのは2年くらい前になるのですが、そんな彼から“サッカー部OBの集い”へのお誘いを受け、中2の終わりに転校して以来、30年ぶりに同級生数人に会いに行ってきました昨日、小倉へ。

 

 昨日は、末っ子の子守をしないといけないので臨時休院としており、前々からスペースワールド近くの“いのちのたび博物館”へ連れて行きたいと思っていたこともあり、そんなこんなが重なったので、友人の母校である“北九州高校グラウンド”へ行ってきました。

 

 お互いに少なからず容姿も変わり、音信不通のまま時が過ぎていたのに、グラウンドで私に手を振る彼(同級生)の姿を見つけたら、あっという間にそのグラウンドが、一緒に汗を流した“足立中のグラウンド”に変わっていました。

 その彼以外にも、懐かしい顔ぶれが・・・

 

 同級生のサッカーを観戦している私と息子に話しかけてくれた女性は、中学時代は話したことのない同級生でしたが、誰かが持って来てくれていた卒業アルバムを開きながら、『これわたし。これ○○、これ○○』とグラウンドでボールを蹴る同級生を教えつつ、私が『○○とは遊びよった』とか『○○とは年賀状のやり取りしてる』と言うと、すかさずその相手をアルバムの中から探してくれて、その相手に対する思い出を語ってくれる、正しく小倉の持つ懐の深さを体現してくれる彼女でした。

 

 私の上をいく人見知りの末っ子が居たので、グラウンド滞在時間は1時間も無かったけど、『同級生っていいなぁ』と何度も感じると同時に『どんな集団も似かよった性格が集まるよりも、多種多様な性格が集まり、それを許容する懐の深さを持つ集団の方が、何かと強いし、柔軟だし、居心地いいよなぁ』と小倉という街と世界情勢のことを考えながら、久留米までは下道を帰ったのでした。

 

 今日の写真は、帰りに寄った“いのちのたび博物館”の様子です。

 どこの親もおじぃちゃん、おばぁちゃんもエラかです。子や孫のために駐車場で並んで、チケット買うのに並んで、中でも並んでね。